私たちは眠っている間に、現実とは異なる映像や物語を体験する。これが「夢」である。では、この夢という現象は人間だけに起こるものなのだろうか。犬や猫が寝ながら足を動かしたり、小鳥が羽をぴくりと震わせたりする姿を見たことがある人は多いだろう。これらの行動は、動物たちが夢を見ている証拠なのかもしれない。
近年の神経科学の研究では、動物の睡眠中の脳活動が人間の夢と非常に似たパターンを示すことが報告されている。さらに、昆虫のような小さな生物でも、睡眠や休息の中で記憶や学習に関連する反応が見られることがわかってきた。
本記事では、「夢を見る」という現象を脳科学の視点から捉え、動物や昆虫にも夢があるのかを探っていく。
動物の睡眠と夢の関係:REM睡眠の存在
夢の研究において鍵となるのが、REM睡眠(Rapid Eye Movement sleep:急速眼球運動睡眠)である。これは睡眠中に眼球が素早く動く状態で、人間では夢を見ているときに最も多く観察される。脳波の活動も覚醒時に近く、筋肉の緊張が低下して体は休んでいるが、脳は活発に働いている状態だ。
動物にもこのREM睡眠が確認されており、特に哺乳類や鳥類で顕著である。ネズミ、犬、猫、サルなどの実験では、睡眠中の脳波が人間と同じように変化し、REM期に入ると脳の視覚や運動を司る領域が活性化することがわかっている。この現象は、夢の中で体験する「動き」や「映像的なイメージ」の再現と深く関係していると考えられる。
また、フランスの神経生理学者ミシェル・ジューベが行った有名な研究では、猫の脳の一部(橋延髄部)を損傷させた結果、REM睡眠中に体を動かすようになった。これは、夢の中で行動している内容が実際に体に表れることを示唆しており、動物が「夢に似た意識体験」をしている可能性を強く裏づけている。

犬や猫は夢を見ている?観察研究からわかる行動
犬や猫が眠っているとき、小さく鳴いたり、足をぴくぴくと動かしたりする様子を見たことがあるだろう。これらの行動は、REM睡眠中の夢の表れと考えられている。実際に脳波を測定した研究では、犬や猫にも人間と同様の睡眠サイクルがあり、深い睡眠とREM睡眠を周期的に繰り返していることが確認されている。
ハーバード大学の研究では、犬の脳活動をモニタリングした結果、飼い主と遊んでいるときと同じ神経パターンが睡眠中に現れることが報告された。これは、犬が「飼い主と遊ぶ夢」を見ている可能性を示唆している。猫においても同様に、狩りや跳躍を再現するような筋肉の微細な動きが観察されており、夢の中で日中の行動を“再演”していると考えられる。
このような結果から、哺乳類の多くは記憶の再構築を通じて夢を体験していると推測されている。夢は単なる幻ではなく、学習内容を整理し、次の行動に備える脳の重要な働きの一部といえる。
鳥やイルカ、爬虫類の睡眠:夢の痕跡はあるのか
哺乳類以外にも、鳥や一部の海洋生物、さらには爬虫類にも、夢に近い脳活動が観察されている。鳥類は人間や哺乳類と同じくREM睡眠とノンREM睡眠を交互に繰り返すことが知られており、その周期は非常に短い。特にスズメやハトなどでは、睡眠中に眼球運動が確認され、脳波も活発に変化する。このことから、鳥も映像的な夢を見ている可能性があると考えられている。
さらに、渡り鳥の脳活動を解析した研究では、睡眠中に日中の飛行ルートや地形情報に関連する脳領域が再び活性化していた。これは、鳥が夢の中で飛行経路を“再確認”している可能性を示す興味深い結果である。
一方で、イルカのような海洋哺乳類は特殊な睡眠形態を持つ。彼らは片方の脳だけを眠らせる「半球睡眠」を行うため、完全に意識を失うことはない。そのため、人間のように夢を見る可能性は低いとされるが、部分的な脳活動の再生現象が起きている可能性は否定できない。
また、爬虫類では長らく「夢を見る能力はない」と考えられていたが、近年の研究では、トカゲの一種・ヒゲコノハトカゲにREM様の睡眠パターンが存在することが報告された。脳波の波形が哺乳類に似ており、進化的に古い生物にも夢の原型があるのではないかと注目されている。
昆虫も夢を見る?脳構造と学習記憶の関係
昆虫は人間や哺乳類のような大脳を持たないが、意外にも学習・記憶に関わる神経ネットワークを備えている。ミツバチやショウジョウバエなどの研究では、睡眠中に神経活動が変化し、日中に経験した情報を整理・再固定化していることが示唆されている。
特にショウジョウバエの実験では、訓練によって学んだ行動パターンを睡眠後に維持しており、睡眠が記憶の定着に寄与していることが確認された。また、睡眠中に神経活動が一時的に高まる「リプレイ現象」も観察されており、これは哺乳類の夢と同様に、経験を再現している可能性を示している。
ただし、昆虫には複雑な映像を“見る”ための脳構造がないため、人間のようなストーリー性のある夢を見ているわけではないと考えられる。それでも、記憶を再生しながら神経が活性化する仕組みは、夢の起源的な形として位置づけることができるだろう。言い換えれば、昆虫の脳も「夢に近い神経活動」を持つ最小単位の生物であるといえる。
「夢を見る」とはどう定義できるのか:意識と再現の問題
動物や昆虫の研究を通して見えてくるのは、「夢を見る」という現象を単純に定義することの難しさである。夢を「睡眠中に経験する主観的な映像や感情」と定義するなら、自己意識や記憶の再生能力がある生物に限定される可能性が高い。しかし、神経科学的な観点からは、「覚醒時に類似した神経活動が起こる」こと自体を夢の条件とみなすこともできる。
つまり、夢とは必ずしも“映像としての体験”に限らず、脳内で過去の経験を再構築する過程であるとも解釈できる。犬が走る夢を見ているとすれば、それは記憶された動作の神経パターンが再活性化している状態であり、ショウジョウバエの睡眠中のリプレイ現象もこの延長線上にある。
この観点からすれば、「夢を見る生物」と「夢を再現できる生物」は異なる段階の現象である。人間のように夢を物語として記憶し、語ることができるのは高次の意識を持つ種に限られるが、夢の神経的原型はもっと多くの生物に広く共有されている可能性がある。
まとめ:夢は意識の進化を映す鏡
動物や昆虫の睡眠研究からわかるのは、夢のような神経活動は人間特有の現象ではないということである。犬や猫、鳥などの哺乳類・鳥類では明確なREM睡眠が確認されており、記憶や行動の再現が行われている可能性が高い。さらに、昆虫のような小さな生物でさえ、経験の再構築を行う神経反応を示すことがある。
夢は単なる幻想ではなく、脳が学習や生存に必要な情報を整理・再統合する進化的なメカニズムの一部であると考えられる。言い換えれば、夢を見ることは「意識の進化」を映し出す行為であり、動物界に広く存在する“心の原型”を示すものといえるだろう。